パスの神様、マジック・ジョンソン。
彼の最高の武器はパス、アシストだった。
バスケットボールは、シュートが決まる瞬間が一番盛り上がる。
しかしマジックは、シュートの手前のアシストでファンを魅了した。
彼が演出したショータイムは、パスで歓声、シュートで歓声。一回の攻撃でファンを二度喜ばせた。
若かりし頃のコービー・ブライアントも、マジックの速攻パスに大興奮した一人だった。
マジック・ジョンソンはポイントガードながら恵まれ過ぎの2メートル6センチというサイズを生かして、パス以外でも結果を出し、トリプルダブルをキャリアで138回も達成している。
レイカーズのマジック・ジョンソンにはだれもが認めるライバルがいた。
セルティックスのラリー・バードだ。
ラリー・バードとは、彼がインディアナ州立大学、マジックがミシガン州立大学にいたころからその熱い戦いを注目され、史上最高のポイントガードと史上最高の白人選手は、1980年代のNBAを盛り上げた。
マジック・ジョンソンは、陽気な性格で、性に奔放な人だった。
彼がそうなったのは、環境からくるものも大きかった。
ロサンゼルスレイカーズのスター選手であれば、女性の誘惑が多いのは当然だった。
『コービー・ブライアント失う勇気最高の男になるためさ!』という本で、レイカーズの選手たちには、誘惑が全力疾走で近寄ってきたことが記されている。
コート外の誘惑との上手い付き合い方を、レイカーズの一員となるものは、学ばなければならなかった。
『コービー・ブライアント失う勇気最高の男になるためさ!』には、こんな記述がある。
元レイカーズ選手のロン・カーターは、70年代のチームを取り囲む環境をこう振り返った。
「誰とでも寝る乱れたものだった。エイズとかちゃんと認識する以前の時代だ。当時問題視されていたのはヘルペスぐらいで、避妊しないセックスはとても一般的だった。自由恋愛の時代だったからね」
「女性たちはホテルまでやって来るんだ」とカーターは続けた。
「まず、そもそも我々が泊まっているホテルを見つけ出せることがすごいなと思っていたよ。着くともう待っているんだ。チームのロスターを熟知しているんだよ。
『マジック・ジョンソンと話せますか?』
『ごめんなさい、今彼は取り込み中です』
『カリーム・アブドゥル=ジャバーと話せますか?』
『ごめんなさい、彼も取り込み中です』
『ジャマール・ウィルクスと話せますか?』って、チームのロスターをひたすら読み上げていくんだ。レイカーズ選手なら誰でもよかったんだ。僕もやれたよ。リストの11人目くらいだったけどね。ほかの選手は部屋に行くと電話の線を抜いちゃうんだけど、僕はつけていた。余った女性が来るだろうと思ってね。ニューヨークやフィラデルフィアなら間違いなかった」
チェンバレンは2万人の女性と寝たと豪語した。世間を驚かせたマジック・ジョンソンのHIV感染の発表があり、その後彼は年間300~500人と寝ていたことを認めた。
生命保険の健康診断でHIVウイルス感染が分かり、同性愛者かと疑われた(当時HIVウイルスへのそういうイメージが強かった)が、その疑いをマジックはきっぱりと否定した。
マジックは、自他共に認める女好きだった。
月刊バスケットボール元編集長の島本和彦は、「マジックは、試合が終わって、どこか食事に行ったとき、たまたまエレベーターで一緒になった女性にすぐ声をかけていた」と話している。
HIVウイルス感染という悲劇に見舞われたものの、保険の健康診断で感染が早い段階で分かったのは、不幸中の幸いだった。
そのおかげで、マジック・ジョンソンは今も存命だ。
当然今もワクチン治療はしているだろうが、元気に暮らしている。
HIVウイルス感染と、そのウイルスへの恐怖からくる偏見によってキャリアが短くなったものの、彼の栄光は、これから先も長く語り継がれるだろう。