誰もが知っているバスケットボールの神様の名前だ。
では・・・
スコッティ・ピッペン
この名前は、人々にとって、どれほどの価値を持つものだろう。
一つ確かなことは、神ほどの価値を持つものではない、ということだ。
スコッティ・ピッペン。
貧しい暮らしで貧弱な肉体だった少年は、大学生になって一気に身長が伸び、
それと同時に、バスケの才能も飛躍的に伸ばしていき、最初はマネージャーだった学生が、レギュラー、そしてチームのエースへと成長し、ドラフト全体五位指名でNBA入りした。
後に相棒になるジョーダンも、学生時代、身長が低くて試合に出られなかった時期がある。
高校一年目、下級生から一軍チームに入れるのはたった一人だったが、当時からヤバすぎる身体能力があったが身長が178センチと小さかったジョーダンは選ばれず、代わりに選ばれたのは、2メートル以上のビッグマンだった。
ジョーダンは悔しくて猛練習して、身長も伸びたから、高校から大学、そしてNBAへと、スターへの階段を駆け上がっていく。
補欠を経験したピッペンとジョーダン
そんな2人が後に、最強チームをつくっていく。
そして、シカゴ・ブルズに入ったピッペンは、ジョーダンに育てられ、彼と共に、一度目のスリーピート(三連覇)を達成する。
ピッペンは、前期スリーピートを達成するまでは、メンタルを批判されることが多かった。
彼にとって大きな試練となったのが、ブルズと同じイースタン・カンファレンスで、さらに同じセントラル・ディビジョンにあったデトロイト・ピストンズとの試合だった。
チームの二番手だったピッペンは、ビル・レインビアとデニス・ロッドマンという、リーグを代表する荒くれ者たちからの暴行に耐えなければいけなかった。
しかし、そのバッドボーイズピストンズとの戦いが、彼を精神的にタフにした。
[NBA history] Scottie Pippen 〜最も過小評価された史上最高のSF〜
レブロンに匹敵するほどのオールラウンダー、そう言っても過言ではない。
それはつまり、史上最高クラスのスモールフォワードということだ。
マイケル・ジョーダンの父親が強盗に殺され、
彼は一度目の引退をし、野球をするためブルズを去った。
残されたピッペンは、「俺がやってやる」と奮起した。
ジョーダンが抜けた穴はあまりに大きすぎて埋まらなかったが、それでもピッペンは、ジョーダンが野球で活躍しようともがいていた時期に必死に戦い、プレーヤーとしても人間としても成長し、周囲からのリスペクトを得た。
誰よりも彼の価値を知っているのは、マイケル・ジョーダンだった。
MJ「後期スリーピートはピッペンのおかげ」
確かに、ジョーダンがいなければ、ピッペンはブルズを優勝させることはできなかった。
だけどそれは、逆も言えるのだ。
ジョーダンがいなければピッペンは優勝できなかったのと同じように、ジョーダンもピッペンがいなければ優勝できなかった。
それは、ジョーダン自身も認めていることだし、ピッペンの永久欠番セレモニーで、お祝いコメントを寄せたチャールズ・バークレーも言っている。
ジョーダンとピッペンは、どちらにとっても、必要不可欠な存在だった。
NBA スコッティ・ピッペンの永久欠番セレモニー(字幕入り) パート1
ピッペンは、
ジョーダンほどの得点力はなかった。
ジョーダンほどの勝負強さもなかった。
だけど彼は、ジョーダン以上のチームプレーヤーだった。
だからこそ、彼は、神の右腕になり得たし、六度の優勝という栄光をつかみ取れた。
彼こそが、最高のナンバー2だった。