今週のお題(ではなく、だいぶ前の週のお題)「好きな街」
そういえば、前に↑この記事で紹介した選手の一人、飛龍高校出身松下裕汰が、B1のレバンガ北海道に入団して、活躍を見せましたよ。
それから、鷹のはし公歌選手。
代表活動も経験して、東京羽田ヴィッキーズを引っ張る立場の彼女。
地元が同じなので応援している彼女のコートネームはユノ(〈夢に向かって昇る〉が由来)なんですが、
そう、今回書きたいのは、夢の話なんですよ。
地元の沼津、好きですよ。ご多分に漏れず、少子高齢化が進んでますがね。
散歩して撮った、狩野川の風景↓
平和で、良い街だと思いますよ。
ただ前に、こんな↓凶悪事件もありましたが。
LINE見てたら、ニュースに↑こんな事件の報が飛び込んできたので、あまりの凶悪ぶりに思わずスクショしました。
本当の凶悪事件も起こってしまったんですけど、基本的には平和な街だと思います。
新しい体育館、沼津市総合体育館も出来たので、バスケ観戦が捗りそうです。
地元の紹介はこれぐらいにしておいて、
さて今回は、とあるバスケ本を紹介したいと思います。
というわけで、沼津市立図書館にやってきました。
けっこう久しぶりですね、来るのは。コロナのせいで足が遠のいていました。
図書カードの期限が切れていたので、運転免許証を見せて更新しました。
↓沼津市立図書館の外観。ある動物をイメージして建てられたんですが、わかります?
正解は、賢いイメージのフクロウです。
コロナのせいで、図書館の出入口のところには、
↓こんな殺菌装置が用意されていた。
しばらく待って青い光が消えたら、殺菌完了。
ちょっと自己紹介させてもらいますね。
自分、ミステリー作家を目指してるんですけど、
本が好きで、作家を目指してる人間にとって、著作がある人は、皆あこがれの対象だ。
渡邊雄太の本を手に取った時、俺は思った。
名の有る人は羨ましいな、と。
こうやって本を出版できる人がうらやましい。
無名の一般人が作家になって自分の本を出すためには、新人賞という関門を越えなければならない。
どの新人賞にも何百と応募があって、その競争に勝たなければ、プロ作家にはなれない。
だから、こうやって本を出せるNBA選手渡邊雄太に、ジェラシーがないと言えば、嘘になる。
でもそれは、彼がバスケにまっすぐ向き合ってきて、NBA選手になるという偉業を成し遂げたからこそだ。
心理学用語で「ハロー効果」というものがあるけど、NBA選手になるという日本人にとって高い壁を乗り越えたからこそ、「halo(後光)」が差して、発せられる言葉に重みや価値が生まれている。
本の紹介の前に、お祝いしなければならないことがありますね。
渡邊雄太さん久慈曉子さん、ご結婚おめでとうございます。
彼は、代表活動とかを見ていても、責任感の強い人ということがよく分かるから、きっと幸せな家庭を築くでしょう。お幸せに!
ルカ・ドンチッチとかもそうだけど、NBAでタフな戦いをしていながら、オフシーズンには代表活動に精を出す選手は、本当にすごい。
国のために必死で戦う彼らへの尊敬心が消えることは、決してないです。
バスケ一家で育った渡邊雄太。
バスケ選手の両親の英才教育は、技術以上に気持ちを育てた。
バスケが中心にある家族との暮らしで、渡邊雄太は「バスケが好き」という気持ちを育ててきた。
幼いころ、彼は電信柱でシュート練習していた。
電信柱にシュートする。まっすぐ打てばまっすぐ帰って来るが、少しでもずれると、ボールはあさっての方向に飛んでしまう。
父親は、そんな息子のシュート練習を、ずっと見守っていた。
家の敷地内でもシュート練習していたが、練習熱心な彼は、やがて周囲から「うるさい」と言われるようになってしまう。
そこで空き地の所有者にお願いして、バスケゴールを置かせてもらい、そこで練習するようになった。
中学時代は、彼にとって停滞の時期だったと言えるだろう。
急激に伸びる身長はバスケプレーヤーとしては喜ばしいことだったが、当時の渡邊雄太は成長痛に苦しんでいた。
チームの勝利だけを求める指導者なら、無理させてでも彼を試合に出しただろう。
しかし平田コーチは、そうはしなかった。
成長痛に苦しむ渡邊雄太に、無理をさせなかった。
焦ることはない。そう言って、彼に訪れる輝かしい未来を守ったのだ。
全国的な強豪校に推薦枠で入ることを目指した渡邊雄太だったが、成長痛に苦しんだこともあって、これといった実績のなかった彼は、ことごとく断られた。
そして彼が進んだのは、香川県内の強豪校、尽誠学園高校だった。
バスケットボール人生を振り返って指導者に恵まれたと語る渡邊雄太が、「恩師」と呼ぶのが、高校時代の色摩(しかま)コーチだ。
チーム1の長身だった渡邊だが、ポジションをセンター固定されず、ドリブルや外のシュートを、ほかの選手同様に練習したという。
それは、色摩コーチが、NBA選手になりたいという夢を真剣に受け止めてくれていたからだ、と渡邊雄太は語る。
卒業の時が近づき、進路を考える時期になって、当然彼も悩んだ。
バスケプレーヤーなら、アメリカ挑戦という夢を見て当然だ。
だがバスケプレーヤーなら、その壁の高さも当然知っている。
アメリカに挑戦したい。その意志を、否定する人もいた。
しかし海外挑戦した経験者たちに意見を求めると、だれもが「挑戦するべき」だと、背中を押してくれた。
日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太も「絶対に挑戦するべき」と、助言してくれたという。
大学では、まずバスケ以前に、英語を話せるようになるところから始めなければいけなかった。
英語の壁にぶち当たった彼の物語、読んでいて特に印象深かったところがある。
チームメイトから、「I’m fine,thank you.」はカッコ悪いから言うなと、厳しく忠告されたというのだ。
そのくだりを読んで、どうしても、日本の英語教育について考えさせられた。
日本の学校の英語の授業では、現地で使われている生きた英語を教えることができてないのではないか……そう思ってしまった。
「How are you?」に対する、現地の人の模範回答集↓
ラプターズ時代には本契約を勝ち取ることに成功した渡邊雄太だが、彼の本『好きを力にする』で語られているグリズリーズ時代は、2way契約だった。
そして現在は、ブルックリン・ネッツ所属。
2ウェイ契約という不安定な待遇からNBAキャリアを始めた渡邊雄太は、崖っぷち精神で奮起し、とてつもなく厳しい競争の中で,、これまで必死に生き残り続けてきた。
2way契約とは、基本的には下部組織に所属して、上部組織のNBAチームで怪我人などが出て補充が必要な場合などに、コールアップされるという契約だ。
2way契約それは、NBAと下部組織のGリーグの待遇の差を、痛感する立場だ。
しかし彼は、待遇差があるからこそ、やる気が出る。絶対にNBAに上がってやるぞと、ハングリー精神が刺激されると、グリズリーズ時代の現状を前向きに捉えている。
グリズリーズ→ラプターズ→ネッツと、活躍の場を変えてきた渡邊雄太
優勝候補の一角と見られていたブルックリン・ネッツだったが、
ケビン・デュラントとカイリー・アービングが揃ってトレードされたことで、最強チームは解体となった。
せっかく最強ネッツの特集を組んだのにこんなことになってしまって、
ダンクシュート編集部がかわいそうです。
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ブルックリン・ネッツの2大エース、KDとカイリーの電撃トレードもあって、彼にはまた厳しい試練が訪れているが、
きっと渡邊雄太なら……渡邊雄太ならきっと、またその試練を乗り越えてくれるはずだ。
なぜ彼がNBA選手になれたか?
それは、本のタイトルにある通り。
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「好き」という気持ちを大事にし続けたからだ。
じゃあ自分は、何が「好き」なんだろう?
俺は、バスケを見るのが「好き」だ。
こうやって、文章を書くのも「好き」だ。
読書が「好き」だ。特に、推理小説を読むのが「好き」だ。
ミステリーを読むのだけじゃなく、書くのも「好き」だ。
読むことでミステリーの面白さを教えられ、推理小説を書くことの面白さも知ることができた。
だから、ミステリー作家になりたい。
文章を書いて生活できるようになりたい。
そう、夢を抱いている。
しかし、簡単な道ではないよなーと、痛感する日々だ。
ブログで稼ごうとしてる人、してた人には分かってもらえると思うんですけど、
文章を書いてお金を稼ぐことは、とてもハードルが高い。
ブログで、お小遣い程度なら稼げても、ブログの収入だけで暮らせている人なんて、本当に一握りだけだ。
それだけ、文章書きで金を得るというのは、難しいことなのだと、最近つくづく思う。
ブロガーとして生きるのは難しい。
小説家として生きるのも、同じように難しい。
新人賞を受賞するのが難しいのに、新人賞を受賞してプロ作家になっても、その一作目が売れなければ次の仕事が来ない。
一作目の売れ行きが悪いからと、そのたった一作でクビを切られた作家を、これまでたくさん見てきた。
激しい競争に勝ち抜いて新人賞を受賞してデビューしながら、その一作だけで消えてしまった小説家がどれだけいることか……
そんなケースがざらにある世界。それが今の出版業界の現実です。
なぜなら、本が売れないからです。
悲しいことに、地元の慣れ親しんだ本屋さんも、惜しまれながら潰れてしまいました。
マルサン書店は、沼津市民にとっては馴染み深い場所で、この本屋に育てられたと言っても過言ではないという人が、自分以外にも多くいるはずです。
仲見世店は、もともと三階まで売り場があったんですが(1階→一般書籍、2階→参考書、3階→漫画)、売り場が縮小されていって一階だけになって、ついには閉店になってしまいました。
本が売れない時代に、どうして自分は小説家になりたいんだろう?
それを最近、よく考える。
それは――
推理小説が好きだという気持ちが、ずっと変わってないからだ。
小説家として生きる。
それが厳しい道だろうことは、分かり切っている。
それでも、あきらめたくない。
どうしても、あきらめたくないんですよ。
宣言します。
好きを力にして、ミステリー作家になります。