この愛読書を、また読み返している。
彼の何がすごかったかといえば、バスケットボールに対する情熱だ。
バスケットボールに誰よりも真剣に向き合ってきた、その姿勢が、多くのバスケットプレーヤーに影響を与えてきた。
その死は、みんなにとって受け入れがたいものだった。
バスケットボールは、肉体的才能がものを言うスポーツだ。
それでも、偉大な選手になるためには、肉体の才能以上に、高い精神性が必要。
そのことを、コービーは教えてくれている。
マンバメンタリティ。バスケットボールに本気で取り組むその姿勢が、多くのフォロワーを生んでいる。
好きこそ物の上手なれと言う。
まさにコービーはそうで、バスケを好きどころか愛していたから、バスケからも愛され偉大な選手となった。
コービーの本「失う勇気」から、コービーがバスケットボールに本気で向き合ってきたというエピソードを紹介したい。
コービーが高校時代の話だ。
彼は当時、当然ながらバスケットボール部に入っていた。
ある日、練習の直前に他の体育館で水漏れが発覚し、コービーたち男子バスケットボール部は、ほかのチームに体育館を譲らなければならなかった。
みんな練習がなくなったことを喜んでいたが、コービーだけは違った。
彼は怒り狂っていた。
コービーは、「こんなのクソだ!」と叫び、ボールを床に叩きつけた。
「糞だ! 練習しないと! 俺は練習したいんだ。ふざけんな!」と怒りを爆発させた。
バスケットボールに本気で取り組む。彼のその姿勢は、ずっと変わることがなかった。
2008年の北京オリンピックで、ベテランとなっていたコービーは、リーダーとしての立ち振る舞いを見せ、タレント揃いのチームUSAを引っ張った。
ドウェイン・ウェイドが、当時のことを2015年に振り返っている。
アメリカチームが最初にワークアウトを行った夏のことだ。
だいぶ早い時間帯に街に着いて、みんな翌日の練習に備えて寝たがっていた。
翌朝ウェイドが起きて練習に行くと、そこにはすでに汗だくでアイシングを受けているコービーが座っていた。
「なにしてるの?」ウェイドは訊いた。
「今日二回目のワークアウトなんだ」コービーが返答する。
まだだれも来てすらいないのに、コービーはもうすでに二回目のワークアウト中だった。
その瞬間、ウェイドには分かった。コービーがほかの選手とはまったく違うということが。彼の練習意欲と偉大な選手になるための意志の強さに、リスペクトを抱かざるを得なかった。
その姿勢を、NBAの後輩たちは存分に見せつけられた。
アメリカ代表選手として真剣にバスケットボールに取り組むコービー・ブライアントは、彼らの良いお手本であり続けた。
北京オリンピックでは、コービーの献身的な活躍もあり、アメリカ代表は金メダルを獲得している。
コービーは、↑この記事でも紹介したように、
「途中で休むな。最後に休め」という名言を残している。
そして、引退スピーチでは、こうも言っている。
決して才能や能力だけでここまで来たわけではなく、毎朝四時に起きて練習を開始し、過酷な食事制限をし、夢を持ち、それを誰にも邪魔させなかったから、到達できたのだと語っている。
人生はいつ終わりが来るか分からないから精一杯生きろ!
天国のコービーが、そう言っている気がする。